ブログを書こうとしたら、気づいたら読書感想文になってしまいました

ブログを書こうとしたら、気づいたら読書感想文になってしまいました

こんにちは、MRPのMです。

 今回は図書館に行って、何この絵本!?ということで見つけて借りた本
『ぼくはあの戦争を忘れない』という本を紹介しようと思います。

 この本は著者が第二次世界大戦時のフランスのパリで過ごした少年時代をできるだけ忠実に思い出して書かれた本で、子供向けにドイツのパリ占領や第二次世界大戦について書かれた本ではないものです。(とはいえ児童書コーナーに置かれていたのですが…)
 そのころのフランスのほとんどの人は、ゲームや創作物に出てくるようなレジスタンスに味方したわけでもなければ、かといってドイツ占領軍に協力するわけでもなく、ただ戦争が終わることを待ち望んで、空腹や寒さに耐えて、できる限り失うものがないようにその日その日を懸命に生きようとしていました。
 少年が占領下のパリで過ごす日常生活のなかで、ユダヤ人の友人や知り合いが連行される話、ドイツの労働者不足によるフランス人の強制徴用、連合軍による空襲(当時は自動車工場などは接収されてドイツ軍車両などを生産していたため)、東部前線(ドイツの対ソ連戦争)へのフランス義勇軍として志願する人の話など第二次世界大戦前夜から連合軍のパリ解放までをメインに著者が思い出して書かれています。

 特に印象に残っている話が、フランス・ヴィシー政府(ドイツに敗北後にナチス・ドイツの影響下で、対独協力政策を行う傀儡政権)のプロパガンダを担当したフィリップ・アンソンがレジスタンスに暗殺され、多くの人が悲しみ、公開安置された場所に出向いていた一方、その一か月後に連合軍によるパリ解放が行われると、翻ってヴィシー政府関係者や対独協力者に罵声を浴びせたり(よく知られているのが、ドイツ軍将校と付き合った女性を「売国奴」としてバリカンで髪の毛を全て刈ってしまう場面)、最悪リンチや裁判なしの処刑などが発生する事態が起きたり、物語冒頭ではフランス・ヴィシー政府の国家元首として第一次世界大戦の英雄である、ペタン元帥をフランス全土で歓迎していましたが、第二次世界大戦後は死刑判決(のちに高齢のため無期懲役)となってしまったりと、人間の移ろいやすさ、脆さ、弱さも実感することができます。

 当時のフランス・ヴィシー政府としては、ドイツに協力的な行動を積極的に行うことで、ドイツ占領下におけるフランスの地位向上を求めて交渉しようと思っていたようですが、ただドイツからしてみればあくまでフランスは占領地にすぎず、別に交渉する必要もなく、フランス・ヴィシー政府の対独協力政策によってドイツへのフランス人の労働力提供、ドイツ国内の生産が低下した食料やその他物資をドイツへと優先的に輸送したため、国内は困窮し、結果的にフランス人からの求心力は離れていってしまいました。ペタン元帥も敗戦処理をするうえで誰かがやらなければいけない仕事を担ったために、とんだ貧乏くじを引く羽目になってしまいました。ただヴィシー政府の政府がすべてが悪かったわけではなく、老齢年金や家族手当は形を変えて継続したり、戦後の経済政策はヴィシー政府の計画したものと似ている部分もありました。

 どうしても戦争の本となると悲観的な話だったり、勝者から見た歴史の話となりがちですが、あくまで当時の少年だった一個人からみた視点ということで、当時の一般的なパリの空気感を感じられたり、情勢が変わる中で己の信念や思想を貫くことの難しさを感じることもできます。

興味がわきましたらぜひ読んでみてください。

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